ジョブチェンジです!
rasvミレニアムサイエンススクール、ゲーム開発部部室、11:06 AM。
不意に部室前の廊下が騒がしくなったのを感じて、部員:才羽モモイの桃色の猫耳ヘッドフォンがピクリと揺れる。
喧嘩か銃撃戦か、議論を交わす生徒の一団か、あるいは光の勇者の帰還か。聞こえてくる声は最後の一つが正解であることを示していた。
「さぁっ!――っ!――?大丈夫――!!」
“わっ、ちょっ!――!?まっ――――”
果たして、声は確かに勇者:天童アリスだった。同行者――パーティの誰かを伴って、部室に向かって来ている。
――待って!伴って、と言うかむしろ、もはや引きずって来てないっ?!
モモイの内心の叫びをよそに、声はどんどん近づいて扉の前に差し掛かる。
不思議なことに、その時点でも、アリスの同行者が――少し低めな声を持つ“女性”が誰か、モモイには見当がついていなかった。
――本当に誰だろ?人懐こいとはいえアリスがあんな感じに接する相手で、こんな感じの声の人なんて……ウタハ先輩?いや――
バァン!
――という擬音が出そうなポーズでドアを開いたアリスが、これまたペかーと後光が描き込まれそうな笑みを浮かべて……そのよく通る声でモモイの思考を吹き飛ばすような爆弾発言をかました。
「パンパカパーン!!
モモイ!ユズ!ミドリ!見てください!
先生がプリンセスにジョブチェンジしました!!!
とっても綺麗です!ほらっ!」
そう言ってくるりと、長い髪をたなびかせながら……アリスの後ろにちょうど隠れてた人影を拾い上げて――お姫様抱っこした。
“待って!アリスっ!待って――こころっ――うあっ……ひゃぁ”
“プリンセス”の小さな悲鳴とともに、白と黒の髪がひらりひらりと舞い上がり、しばし二人の姿を隠した。
沈黙がゲーム開発部の部室を支配する。
「……えっ――えっ?」
思わず口から困惑の声が漏れ出るモモイ。
ユズのいるロッカーからも疑問符が飛び出て来ている(ような気がする)。
「アリス、待って、アリス……今、先生って言った……?」
ミドリも訝しげにそう問いかける。
“先生”。――そう、“先生”。
先生は、男性だ。女性ではない。
モモイは、先生の声を聞いて――中性的だとは思うものの――はっきりと男の人の声だと思っていたし、ミドリも、ユズにとってもそうだった。
だが、アリスは言う。
「はいっ!こちら、先生です!エンジニア部の近くで発見しました」
――エンジニア部。それはモモイにとって、この事態を説明する何か重要な“キー”であるかのように思えた。
そのとき、アリスの腕に抱かれた“プリンセス”が、もぞもぞと抗議の声を上げた。
“ねっ、アリス!もういいから!下ろして?”
「先生!プリンセスは勇者に抱っこされるものです!!ドラゴンテストにもそう書いてありました!」
“アリスっ……私はお姫様じゃ……”
――ふと、目が合う。
“お姫様”が髪をかき分けたときに見えた、ヴェールのように顔を隠す白髪の奥の、薄い色の瞳と。
その瞳に少しの怯えが、一瞬映ったように思えた。
“……ない、から……”
“私はお姫様にはなれないから……”
“――ごめんね、みんな”
“先生”――少なくともアリスはそう主張し本人も否定していない――の声が申し訳なさそうに窄まっていく。
主語は明確ではなかったけれど、モモイは咄嗟にそれを否定しようとして――「先生!」――それよりも先に、アリスが言った。
「先生はあのときアリスに、自分のなりたい自分になっていいんだよと言ってくれました。
さっきの先生はとても楽しそうにしていました。
今の先生の格好はとっても似合っています!先生は変なんかじゃありません!」
“でも……”
「それに、STONE's PFORTEの神官も巫女さんの格好をしていました!
先生はお姫様です!お姫様がお姫様の格好をするのは普通のことです!」
“――でも!”
驚いたモモイとミドリの尻尾がピンとなり、それを見た先生は目を伏せ、“ごめん……”と小さな声で謝った。
“それでもアリス、私は男性で、男の人の服を着るのが普通で……”
「――もうっ、先生!」
先生の声がどんどんと悲しみを帯びていき、とうとう我慢できなくなったモモイがそれを遮って言った。
「先生は今とっても可愛いいんだよ!ミドリも、ユズも絶対そう思ってるって!
外ならともかく、この部室なら誰も気にしないからさ!そうでしょ?」
「はい、先生は普段から綺麗ですから。そう言う服を着てもとっても綺麗ですし、気にしませんよ」
「――わっ、わたしも……気にしない、です」
ミドリも、ロッカーの中から出てきたユズもそう言って先生を見る。
先生は今度は少し恥ずかしげに目を逸らして、観念したように言った。
“わっ……わかったから……みんな、ありがとう。……その、嬉しい”
“それと、アリス……もういい?そろそろ、降ろしてほしいかな……”
「はい、姫!お気をつけて!です!」
ひょい、とアリスが重さなど無いかのように“お姫様”を地面に立たせてあげる。
先生は地面の感覚を確かめるようにしばらく足を動かしたあと、騒動で乱れた髪を整えていた。
「……」
「……」
「…………」
“……?”
その様子を訝しげに眺める三人、その視線に気づいた先生が疑問の声をあげた。
“三人とも、どうしたの?”
「やっぱり、信じられません……」
“信じられない……?”
「あっ、変とかそう言うのじゃ無いです。でも、なんというか……」
「そうだよ!ミドリの言うとおり、先生はもっと――こう、もうちょい男の人っぽかったはず!」
「お姉ちゃん、まだ何も言ってない……。でも、私も同じ意見です」
「その、声が……今日の声は本当に女の人の声みたいです……。
いつもはもう少し、男の人だってわかるのに……」
そう、今日の先生は明らかに……いつもよりも女性らしいと感じられた。
――格好の違いだけでこんなに違うものなのかな?
「――そうだ、エンジニア部!」
“モモイ?”
「さっき先生、エンジニア部の近くに居たって言ってたよね。
大丈夫?!エンジニア部の先輩たちになんかされて無いよね?」
エンジニア部――確かにエンジニア部なら、性別を入れ替えたり、声を変えたりするようなことが出来てもおかしくはなかった。(おかしい)
“モモイ、何を言って――?”
“確かに、エンジニア部には用事があったけど、特に何も――”
「何もされてないの?先生、記憶とかははっきりしてる?
頭が痛いとか、ぼうっとするとかは?」
「……お姉ちゃん、いや、さすがに……うーん……
さすがにそう言うのはできない……できないと思う……」
“本当に何もされてないって!エンジニア部にはちょっと用事があっただけだから。”
「うーん、じゃあ……本当になんで……?」
「あ、あの……そういえば先生は、どうしてエンジニア部に?」
“え、えっとね……その……”
先生は何かを言いづらそうにしていたあと、“エンジニア部のため”と覚悟を決めたように呟く。
“この服は……”
「――ミドリ、ユズ、モモイ!“なぜ”とか、“どうやって”とかはきっと些細な問題です!
そんなことよりもクエストに行きましょう!
先生も、きっと大丈夫です!アリスも王女にジョブチェンジです!最近の作品では、主人公が姫であることも珍しくありませんから!」
言いたくなさそうな雰囲気を悟ったアリスがそれを遮って明るく言った。
先生は少しホッとした表情をしたが、アリスが続けて言った言葉を聞いて今度は焦り出すことになる。
「実は先ほどヒビキからクエストを受けました!
あとでみんなを連れてエンジニア部に来てほしいと」
“ちょ、ちょっと待ってアリス!”
「さあ、ユズ!モモイ!ミドリ!先生!さっそく出発しましょう!」
“――ひゃあっ!”
そう言うが早いか、アリスは先生を再び持ち上げてお姫様抱っこにして歩き出してしまった。
数秒、唖然として固まったあと、三人は愛銃を携え急いで部室を後にした。
なお、ヒビキに依頼した衣装が自分用のものだとバレるまで残り5分、アリスともどもヒビキのストックの餌食になるまで20分、監視カメラをハッキングして遊んでいた超天才清楚系病弱美少女ハッカーが事態を捕捉し、骨格個人識別プログラムの結果を添付してばら撒くまで1時間のことである。